あの頃、Web2.0とニアミスだったのかも知れない
2000年頃、大学の友人達と、あるWebサービスを立ち上げようとして試行錯誤を繰り返していた。
それは、個々のサイトの掲示板と掲示板をつなぐ、と言うサービス。
その頃の個人サイトの掲示板は、2ちゃんねるを代表とするような大型掲示板の台頭によって弱体化させられていた。それらは今にも、大型掲示板のカテゴリのひとつのスレッドとして吸収されてしまいそうに見えた。
そんな個人サイトの掲示板をジャンルごとにリンクすることで、自由に行き来して交流をする、と言う発想だ。
良くあるサイトのリンク集はトップページしかつなげない。
トップページ以外の部分で複数のサイトのコンテンツ同士、しかもコミュニケーションが盛んなページ同士が「つながる」ことがコンセプトだった。
今のブログがコメントやトラックバックで互いにつながる発想に、わりと近かったと思う。
さらにビジネスモデルとしては広告モデルを考えていた。
それも、当時主流だったバナー広告の土地を売る方法じゃなくて、(当時としては)新しい方法を。
成果報酬型のバナーをジャンルごとに集めたバナーのリンク集を作ろう、と思っていた。その頃は大手の数サイトしか無かった、アフィリエイトによる「比較サイト」の走りの発想だ。
その頃はいわゆるブログなんてものは、国内じゃ全然見あたらなかった。
各サイトのコンテンツページがバラバラに存在して、それを各サイトのリンク集や検索サイトが何とかつないでいた。
大学生だった。
ベンチャー系のメーリングリストで、このWebサービスのアイデアを書いたら、どっかの中小企業の社長から出資してもいい、と言う話が来たりした。経営のことも何も知らなくて「自前で開発しているし、当面は予算なんていらない。取引上必要になったら起業すればいい」と思っていた。
その頃、ビジネスモデル特許がもてはやされていた。今じゃ信じられないが、「ビジネスモデル特許で大富豪になる!」みたいな本が何十冊と平積みされていた。今のアフィリエイト本みたいな勢いだった。
で、それに引っ掛かった。
Webサービスの開発と同時に、ビジネスモデル特許による権利化を進めようとしていた。
しかも特許の勉強をして、自力での出願をしようとしていた。
今考えると、開発と特許の勉強なんて同時に出来ることじゃないし、それこそ手間を惜しんで金を使えば良かった。さらに言えば、ビジネスモデル特許なんてどうでも良かった。
特許申請が完了するまでは、サービスを大々的に公開しない。
そんな発想のせいで、サービスの開発スケジュールは暗礁に乗り上げた。
実際には、ほぼ大枠は完成していた。
慣れてない特許出願の請求項作りなんて、開発で疲れ、スケジュールの遅れで焦った頭で出来るようなことじゃない。
そのうち、チームは1人抜け、2人抜け、と自然崩壊していった。残った2人のメンバーで開発を続けたが、かなりテンションは下がってしまっていた。
卒業を控えていた自分は、7月になるまで一度も就職活動をしていなかった。本気で起業するつもりでいた。
その頃、信頼していた先輩に「お前、コンサルとか合ってるんじゃない?」とアドバイスされた。
気の迷いが起きた。
コンサルか。ほとんど、どんな仕事をする職種かも知らなかった。
何か格好良さそうだとは思った。そして、モラトリアムの香りを感じた。
とりあえず、1社だけ受けてみるかと思って、一番格好良さそうなとこを受けてみた。
面接で、今作っているWebサービスの話をした。妙に気に入られた。選考過程はポンポン先に進んだ。
それとは対照的に、掲示板サービスの開発は、遅々として進まなかった。というよりも、権利化にこだわった自分が止めていた。
あっさりと内定が出た。1社だけ受けて、その1社に受かった。
しかも、一番人気枠の戦略部門だった。
もはや、ほとんど悩まなかった。
最後まで一緒に開発してくれていた後輩に報告をして、就職を決めた。
卒論には、ネットワーク論を書いた。Webサービスについての雑感を書き連ねたものだった。思い起こすと、確かこんなことを書いていた。
「掲示板の書き込みは、書かれたその場で消費され、過去ログになって忘れ去られてしまう。これを共有の資産にし、いつでも掘り起こせるようにする技術が必要だ」。
Web上のログデータの再利用と共有、さらにはそのデータを媒介にした異なるコミュニティ間のつながりについて、繰り返し書いた。
そして、数ヶ月遊び呆けた後、僕はコンサルに就職した。
「就職するまでの間には、サービスを形にしよう」。そんな約束は結局果たせなかった。
しばらくして、「はてな」のサービスが話題になり始めた。
しばらくはその凄さに気が付かなかった。
「単語のひとつひとつにリンクかよ。広告として売るんだろうな。ウザいな」
なんてことを思っていた。
またしばらくして、気付いた。アフィリエイトの人気が出始めてからだ。
比較サイトが乱立して、凄い利益を上げていた。
ああ、やられた。
さらにしばらくして、改めて気付いた。ブログの人気が出始めてからだ。
そうかつなぐべきだったのは、掲示板じゃなくてむしろ日記。さらに言うなら、コメント機能付きのコンテンツページだったんだ。
ああ、本当にやられた。
たぶん足りなかったのは度胸と決断のスピードと冷静な判断力。起業に必要な全てだ。
起業するには、あまりにも近視眼的で優柔不断でチキンだったと言うことだ。
そして数年が経ち、今の自分がいる。
さて。
どうするか。