くろいぬの矛盾メモ

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新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが

 ※このエントリから1年後の続編はこちら → 「インターネットは必ずしも「生の声」のメディアではない」
 

大学時代、某新聞社で読者の声欄の原稿修正の手伝いをしていた。


もともとは、催事紹介などの雑多な記事を書いたり、電話番をしたり、
郵便物や資料の整理をする仕事としてバイトを始めた。


無記名や宛先が不明確な封書の開封と仕分けも、自分の役目だった。
当時は余り意識してなかったが、爆弾とかカミソリが入ってたら危なかったわけだ。
幸いなことに、在職中にそういうことは無かった。


癒着や横領など内部告発系の手紙も、結構来てたのを記憶している。
ただし、投稿者連絡先が書いてないものは即捨てることになっていた。
記名のものは記者に渡され、事件性がありそうなら連絡を取って確認をしていた。



他にも、『私はヨーロッパの○○国の王妃です。大臣と軍部が手を組んで私の命を狙っています』
と言う切実な訴えを流暢な日本語で問い合わせて来る女性とか、政治に対する不満を365日欠かさず
ハガキ一面に筆書きで送ってくる老人とか。
あと、テレビに関する問い合わせや不平不満が寄せられることも多かった。
たぶん、新聞にテレビ欄が載ってるからだと思う。

インターネットが普及する前だったこともあり、世の中のことは全て新聞社に聞けばわかる、
みたいに思われてる風潮があった。そんなこと無いのに。
※当時は、モデム付きのワープロ専用機で原稿を書き、本社サーバーに送っていた。



話が大幅にそれたが、仕事を続けているうちに、記者さんの一人と仲良くなり、
文章談義などを交わすようになった。
そんな中で、読者の声欄の原稿を直す仕事も頼まれるようになった、というわけだ。


ここからが、ようやく本題である。
この話を書こうとしたきっかけは、以下のエントリーだ。


昨年のことだが、朝日新聞の「声」欄に投稿した。何日かして電話があった。
(中略)
見ると、大幅な書き直しである。これは私の文章ではない。私の「声」ではない。了解取りつけの電話がきたので、その旨伝えた。
(中略)
これでは読者の声をねじ曲げ、事実と異なった方向に誘導したことになる。投書欄というコップの中の出来事かも知れないが、メディアがもつ、やらせ、捏造の体質に、これでいいのかという疑問が残った。些細なことかもしれないが、この程度のことは日常茶飯のことなのかもしれない。


メディア・ここまで「捏造」するか大マスコミ


つまり、読者投稿した文面が大幅に書き直されたことへの不満の声である。
実際の文章がどう変更されたかも、リンク先で読める。


この修正を、どう思うだろうか。
私、くろいぬとしては、特に問題ないレベル、と思うのだが。



新聞社にいた時、読者原稿を修正する時の注意する点として、
何度も言われたことは以下の3つ。


1.読者の意見を変えるな
 → 主観的で偏った意見であっても、読者の「言いたいこと」を変えてはいけない。

2.最も大事なテーマだけに絞り込め
 → 言いたいことを1つに絞り、繰り返しや無駄な例示、脱線部分などを削る。

3.誰が読んでもわかる文章にしろ
 → 文体を整え、指示語を減らし、誰が読んでもわかるように具体的な情報を盛り込む。


つまり、読者の主張を変えずに、より多くの人に意味が伝わるように
わかりやすく直してるだけだ。
当然、投稿者には修正済みの原稿を送り、最終確認を取る。


プロの作家相手じゃあるまいし、何度も推敲を重ねてやりとりをする
暇なんてないので、文章の細かい部分に必要以上にこだわってくる読者
だった場合、お断りすることもある。


今回不満を訴えている修正例の場合は、主に3.の具体的な情報を盛り込む部分で、
追加説明が詳しくなりすぎたのが、原因だと思う。
とは言え、「痛みを伴う改革」と言ったのは誰か、その後もそれを引き継いでいるのは
誰か、という事実関係を明確にしないと、この主張はハッキリしてこない。
そこで、具体的な名前を明示するのは捏造にあたらない。


たぶん、文章を半分以上変えられたのが、単純に嫌だったんだと思う。
その気持ちはわかる。でも、捏造とか偽装改竄とかとはちょっと違うよなあ。
プロの作家にさえ編集者がついてるのに、素人の我々が編集を拒むって何事だ、と思うわけで。


はてなブックマークコメントでも、そういう意見がメインかと思ったら、
捏造だ!っていう、投稿者を擁護するような声もあったりしたので驚いた。



今も、新聞社がこんな調子でやってるかどうかは、知らない。
会社によっても違うだろうし。
でも、編集者が勝手に原稿を書いてるいいかげんな雑誌の読者投稿コーナーや、
自作自演が簡単なネット上のコメントよりは、ずっと誠実だとは思う。



なんか、最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。
まあ、これが格差社会ってことなのか。


叩かれまくりの倖田來未の騒動にしても、悪いのは倖田來未じゃなくて、
収録番組なのにあの発言をカットしなかった番組ディレクターでしょう。


生の声は、編集しないと万人向けのコンテンツにはならないんだよ。
生の声は、結局は対面コミュニケーションか、アングラなメディア止まり。
政治家の講演会だって、生の声が録音されてそのまま外に出るだけで暴言扱いになる。


もっと、編集の重要性を認識した方がいい。
逆に生の声なんて、どんなこと言ってもおかしくない、ってことでもっと大目に見るべき。
政治家も歌手も企業の社長も、しゃべりのプロじゃないんだから。


逆に生放送、生発言の時代になると、しゃべりのプロだけがもてはやされる傾向を危惧している。
なんか、ケネディの選挙の頃みたいな話だな。



このブログも長くなったんで、誰か編集してください。

 
※1年後の2009年4月7日に、この記事の続編書きました。こちらも是非。
■インターネットは必ずしも「生の声」のメディアではない
http://d.hatena.ne.jp/shields-pikes/20090406/p1

 
 
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