くろいぬの矛盾メモ

旧・はてなダイアリーから移行しました。現在は「モフモフ社長の矛盾メモ」 をたまーに更新しています。

【新s】ニュースの格付け作業なんて専門家にアウトソースすべき

新聞社3社連合が作った、「新す(あらたにす)allatanys」(http://allatanys.jp/)が面白い。
古生代の海洋生物の学名っぽい凝ったネーミングも、個人的に気に入った。

「allatanys.jp → all at anys → a(朝日)n(日経)y(読売)の全て」
そして、「News → 新+s → あらたにす」。
字面は微妙だが、意味づけと響きは良い。


しかし、世のブログやソーシャルブックマーク界隈では、かなり叩かれている。
いわく、「RSS配信も無いのか」、「個人のマッシュアップサイトかと思った」、「Googleニュースで充分」。

はっきり言ってしまえば、「あらたにす」は間違いなく失敗する。かつて共同通信と地方紙連合が立ち上げた47NEWSと同じくらい、過疎状態になる。なぜダメかと言うと、RSSに対応していないのも驚いたが、構成自体が新聞といったマスコミの論理から1ミリも抜け出せていない。

■マスコミの人間が決定的に理解できないネットの本質 〜朝日、日経、読売3社連合「あらたにす」を見ての感想〜


かくいう自分も、一瞬そう思ったのは確かだ。
しかし、しばらく見ていて、その考えを改めた。


「あらたにす」は、『トップニュースの順位が固定されたニュースサイト』だ。
ランキングではないので、2面記事はどんなにアクセスが集まっても2面記事のままだ。
そして、その順位は各新聞社が威信をかけて、格付けしたものだ。


リアルタイムの新着順や人気順ランキングといった、「格付けアルゴリズム」に頼りきった
凡百のネットニュース群の中で、編集者が責任を持ってつけた「不変の順位付け」というのは
それだけで充分存在価値がある。


ニュースソースに対する「編集と格付けの権威」としての新聞社がやるべきことを、
しっかりやろうとしていて好感が持てる。


だから、RSSを配信しないのは「編集と格付け」にこそ、サイトの存在価値があるのだという
純粋な「意志」による判断だと思う。
(これで、思い出したようにRSS対応しちゃったら、単なる買いかぶり過ぎだったことになるが)


逆に、ユーザーやマッシュアップサイトに編集権を渡したらGoogleニュースなどに取り込まれるだけ。
どこのニュースサイトにもある、細切れのニュースソースとしての価値しかなくなる。
いや、細切れのニュースソースに価値が無いと言ってるわけではない。
ニュースソースをネタに、ユーザーが作るコンテンツだって、共感が持てるしすごく面白い。
どんな動画でもネタにして盛り上がれる、ニコニコ動画みたいなもんだ。


ただ、最近は、

「自分の頭で雑多な情報を格付けすること」
に疲れて来た。



毎日RSSをチェックして、面白いエントリーははてなブックマークに入れて、コメントして。
でも、すげー無駄な作業をしている気がする。「情報収集している」行為に酔ってる気がする。
そもそもニュースの格付けって、専門家にアウトソースすべき部分じゃないのか? ってこと。


もし、自分に近いセンスを持ち、興味分野が重なっていて、なおかつ情報収集に
精力的なブックマーカーがいたら、自分でRSSをチェックする日々の儀式なんて辞めて、
そいつのソーシャルブクマだけをRSSで購読したい、と思ったことはないか?


いわゆるコンシェルジュって奴だ。
しかし、自分と同じ価値観で抽出した情報だけだと、偏ってしまい進歩が無い気がする。
だったら、その道の権威が抽出して、責任を持って格付けした情報が欲しい。
特化したジャンルなら、その道の専門家のブログやブックマークを見ればいい。
でもニュース一般を、ニュースの専門家の目で抽出して欲しいとしたら?


あれ、これって一回りして、旧メディアに戻ってないか?
コンテンツとしては、戻っている。ただし、ウェブで配信されている。そういうことだ。
メディアや技術の進歩ってのは、何度も一回りして同じところに戻る。
そして、すこしづつ上っていく。そうだ、螺旋階段だ。天を突くドリルだ!


こう例えてみよう。
ミシュラン・ガイドがオンライン化したら、どうなるだろうか?
きっと、コメント機能や、リアルタイムのランキング機能は絶対に実装しないだろう。
そんなことをしたら、格付けの意味がなくなってしまう。



新聞社は、長年続けてきたニュースの編集・格付けのエキスパートだということに、
もっと自信を持っていいと思う。
今までは、ネットに対抗して、手っ取り早く儲かる部分=コンテンツ販売や広告配信、
ってとこだけに目を向けすぎてたんだと思う。


ただ、ネットユーザーの開拓はすごく大変なのは間違いない。
CGMSBMマッシュアップ大好き!のいわゆるギーク層には、全く受けないだろうから。
専門家によるニュースコンシェルジュの価値を一回り回って理解している層なんて、もっと少ないだろうし。
そうなると、ネットではYahooしか見ないようなユーザー層を中心に呼んでくるしかないわけで。
下手すると、新聞を購読している客を減らすことにもなりかねない。


強みを活かす戦略としては悪くない。競合と同じことやっても意味が無いし。
ただ、市場開拓とか啓蒙とか、そういうレベルから始めないといけないのは厳しい。
SWOT分析は出来ているが、マーケティングをもっと頑張らないと、って感じ。
ていうか、一番の課題は集客だな。


次の一手は、どうするべきか。
自分が運営者なら、あらたにすトップページと全く同じ画面のHTMLメルマガ配信サービスをする。
「朝刊、夕刊配達!3誌の記事が読める購読無料のWeb新聞」とか称して、ビジネスユーザー向けに。
営業職で毎日の商談用のネタ集めとかをするなら、ネットニュースやRSSで一覧するより、
ダイジェスト版ニュース配信の方が効率いいでしょ。
もともとメルマガって、すごく新聞に近いメディアだと思ってたんだよね。


そんなわけで、あらたにす。
ランキングアルゴリズム 対 新聞記者、の編集対決。
Googleニュースへの正式な果たし状。
願わくば、採算があわなくても、しばらく続けてほしい。


今後も注目です。

※なんとなく、あらたにすは踏み台になってつぶれて、フォロワーのどっかが成功しそうだが。

これが本当の神調教と言うものか


あけましておめでとうございます。くろいぬです。
新年から、ゆるいネタでスタートです。



そう、今さらながら「初音ミク」。
http://g-ec2.images-amazon.com/images/G/09/ciu/c8/f7/d12d31e29fa0c75c31027110.L.jpg
amazon:VOCALOID2


歌声(ボーカル)の音声合成を一気に身近にした「VOC@LOID2シリーズ」も、
第1弾の「初音ミク」に続いて、第2弾の「鏡音リン&レン」が発売され、
ニコニコ動画のコンテンツとしてすっかり定番化して来ました。


しかし身近になったと言っても、声の微調整が難しく、どうしても
ロボット音声っぽく聞こえてしまうのも事実。
Perfume」などの、ボコーダーを使った原曲のカバーには非常に
相性が良かったんですが、人間らしい歌声は難しい。


どこまで人間の歌声に近づけられるのか、と言う挑戦が続き、
神調教(VOC@LOIDの見事な調整のことをこう呼びます)の楽曲は、
動画ランキングの上位でみんなの賞賛を浴びています。


そんな前置きはいいとして、ひとつの動画を紹介したいと思います。
まだ、ランキング上位に上がったことがない、隠れた神調教の作品です。



初音ミク:銀輪は唄う


 ※ニコニコ動画板(オリジナル)はこちら ⇒ 初音ミク:銀輪は唄う by うどんゲルゲ VOCALOID/動画 - ニコニコ動画


原曲は、音楽好き or サブカル好きの30代なら、おそらく知ってる
ゲルニカ」(戸川純上野耕路のユニット)による「銀輪は唄う」。
昭和歌謡をコンセプトにした名曲ばかりなので、気になった方は
原曲の方も是非。


まず、ビブラートの再現がすごい。伸びやかな声で本当に人間に近い。
そして、合成音声にありがちな、「顔の前にセロファンを貼り付けて歌っているような、
妙にこもった音」が全く聞こえない。

いまだにこれを超える神調教には遭遇していません。
2万円程度のソフトで、ここまで出来るようになったのか、と感慨深いですね。


この神調教をした方の、他の作品も必見です。

夢を追うlifehack(笑)達に贈るスイーツ(笑)流シンデレラレッスン


前エントリー 今すべきことは、自分というコンテンツの「届く化」
に下記のようなコメントをいただき、返事を書いていたら長くなったので、
エントリーにすることにしました。
タイトルは、あまり気にしないで下さい。


ちなみに、前のエントリーを要約すると、こんな感じ。


好きなことを徹底的に極めるとか、その時々にやりたい仕事をやって生きるとかは、
才能があって対人能力も高い人の生き方だから、全く参考になりません。
自分と言うコンテンツを、届けるべき相手に「まっすぐ届ける力」。
それだけを身につければ、凡人だって幸せになれる。
ウェブ時代だから、今まで対人能力が低くて損してた人にもチャンスはあるぜ!


という内容でした。ひたすら長いので、読んでくれた方、本当にありがとうございます。
で、コメントが以下の通り。


「3流プログラマー」さん

はいはい、寝言ポエム寝言ポエム
というか、有害な文章の見本だな。
オレは他のプログラマーよりも頭が悪いし、物覚えが悪い。だいたい、学校の成績もわるかったからな。でも、プログラムぐらいしかできることがないから、しかたなくプログラムで飯を食ってる。
オレがいまの会社に就職できたのは、オレの「コンテンツ」の価値を会社が過大評価したからだ。オレの真の実力を相手に「まっすぐ」届けたりなんかしたら、オレはすぐに首だよ。
ドブスがガラスの靴を履かせてもらっても、王子様の心を射止められるわけないだろ。シンデレラは、もともと美人だったから、王子様が惚れたのさ。
世の中の一般人のほとんどは、シンデレラのように美人じゃない。ガラスの靴を履かせてもらっても、王子様は素通りするだけさ。
そんなことも分からないってのは、ようするに君は世の中が分かってないってことさ。

「まっすぐ届ける」ってのは、そのまんまの素の自分をさらけ出せ、という意味ではありません。
むしろ、全くの真逆。
「素顔のわたしを愛して」とか「ありのままの俺を見てくれ」なんてことを言えちゃう人は、僕も嫌いです。


「まっすぐ届ける」と言うのは、自分と言うコンテンツを一番高く買ってくれそうな
相手にターゲットを絞って、自分の得意なあらゆる戦略や方法を駆使して
そこに最短距離で届ける、ってことです。


「三流プログラマー」さんの場合、会社に自分の実力を過大評価させて入社出来ています。
そして今もそれを維持出来ているってことは、対人コミュニケーション能力が高いってことかと。
ならば、今のままプログラマーを続けつつ、対人コミュニケーションをもっと磨いた方が
幸せになれるんじゃないかと思います。
プログラミング技術では同僚に勝てないかもしれませんが、プロジェクトマネージャーなど
管理職の方向を目指して努力すれば、同僚よりも早いスピードで出世が出来るんじゃないでしょうか。



そして、本当に良いたとえを出してくれました。


世の中の一般人のほとんどは、シンデレラのように美人じゃない。

このエントリーは、「私はシンデレラみたいに美人じゃない」と言う人に、
「美人じゃなくても、化粧やおしゃれや表情やしぐさを強化すれば、必ず今よりも幸せになれる」
と教えたかったんです。


「自分を求めてくれる相手」のニーズや、自分の特性に合わせて化粧やおしゃれをすれば、幸せな道が待っているのに、あきらめている人はたくさんいます。
さらに、頑張っている方向が間違っている人。
自分に絶対似合わない服を着たり、好かれたい人の好みと違う服を着て、失敗している人もたくさんいます。


さらに、頑張っている方向が間違っている人。
自分に絶対似合わない服を着たり、好かれたい人の好みと違う服を着て、失敗している人もたくさんいます。
頑張っておしゃれな服を着ても、ただのコスプレに見えてしまう人は、細部のツメが甘いか、全体のトーンが統一出来ていない。
例えば、髪や肌や爪の手入れがそれなりに出来ていないと、高価でおしゃれな服を着ても浮いてしまうだけだったりします。


そういうディテールの努力が足りないだけなのに、「やっぱり美人じゃないから」と言うことに逃げてしまう。



世の中には、美人なんて、ほとんどいません。
しかも、美人だからと言って、幸せになっているわけじゃない。
それよりも、自分を綺麗に飾り、アピールするのが上手な人が、幸せをつかんでいる。


才能も同じです。
本当に才能がある人、自分と言うコンテンツそのものに価値がある人なんて、ほとんどいません。
しかも、才能があるからと言って、高い評価を得ているわけじゃない。
自分というコンテンツをターゲットにまっすぐ届ける力がある人こそが、活躍しているのが現状です。


だから、素の自分の才能はどの程度なのか、もっと俺は上を目指せるのか
なんていう自分探しは学生まででやめましょう。
そんなのは、いい年して「私は本当に美人なんだろうか?」と鏡の前で
悩み続けている女性と同じです。


必要以上の自分磨きだけに没頭して、アピールをおろそかにするのもダメ。
高いエステに通うよりも、高い基礎化粧品を使うよりも、思い切ってミニスカートを
履いた方がずっとモテます(ただし、全体のバランスとディテールを大事に)。
あ、ちなみに、この方法は同性には死ぬほど嫌われますが、単なるやっかみです。
ぬるま湯のような穏やかなコミュニティと、自分を認めてくれる相手との出会いと、
どっちを取るかです(ただし、恋愛に価値観をおいてるなら、の話ですが)。


「前向きに努力してる」と自分に言い聞かせる言い訳でしかない情報収集もやめましょう。
芸能人が書いた美人エッセイを何冊読んでも、美人にはなれません。スイーツ(笑)
ウェブの最新ニュースを毎日チェックしていても、梅田望夫ひろゆきにはなれません。lifehack(笑)




それよりも、今の自分が輝けるアピールのステージを探すこと。
そのステージに立ち、劇場の空気を読んで、観客にまっすぐ届ける力を磨くこと。
実際には、自分がそんなステージに乗ることすら想像したことが無い人が多数だと思います。
でも、今の時代はコミュニケーション能力が高くなくても、コンテンツ自体の質が高くなくても、
輝けるステージがたくさんあります。

このあたり、詳しくは前のエントリーを参照のこと。
今すべきことは、自分というコンテンツの「届く化」




そして、2、3回アピール力で成功したからって、「こんなのは本当の自分の評価じゃない、
もっと素の自分を見て欲しい」、なんて思わないこと。
本気で思っているなら、思い上がりもいいとこだ。
これってつまりは、化粧やおしゃれを頑張ったおかげでうまくいったのに、
なんだ、自分はもともと美人だったんだ、って誤解しちゃったってことでしょ?


競馬のジョッキーが、「俺が勝てたのは俺の力じゃない、馬の力だ。今度は、
俺自身の2本の足で大地を走る姿を見て欲しい」と言うのと同じです。


的確なアピール力を身につけ、使いこなしている能力は、あなた独自の力です。
そして、総合力で戦うもの。素の力が弱ければ、強い武器を持てばいいんです。



ただし、本当に天才ってのは各分野にいて、凄い才能と凄いコミュニケーション能力を持ち、
なおかつ努力家だったりします。
一般人は、こんな人の存在は無視しましょう。
イチローみたいになれないから俺、野球やめるわ、ってのも馬鹿馬鹿しい。
才能があろうがなかろうが、届ける力を磨いた方が、ずっといい。


「自分と言うコンテンツ」の質ばかりにこだわり続けるのは、辞めましょう。
まだ未熟だから、もっと成長してから、なんて待ちの姿勢もダメです。
自分の成長をじっくり待っても許されるのは、天賦の才能がある人間だけ。
一般人は、今の自分にあった売り出し方、届け方で、売り込みを始めた方が、よっぽど効率的です。


自分には、この伝達方法があっている、この方法しかない、という思い込みも捨てましょう。
実は、あなたは毎日のルーチンワークよりも、ニコニコ動画の中で輝ける人かも知れない。
苦手な面接よりも、ブログを使って転職活動をすべきかも知れない。



最後にひとつ注意点。
一度評価を得たからって、その道で食って行こう、と言う判断はギリギリまでしないで下さい。
時々思いつく単発のコンテンツで大きくウケを取れる能力と、一定の品質のコンテンツを
コンスタントに提供出来る能力は、全く異なる才能です。
特に前者のような即興タイプの人は、それを本業にするとすごく辛いことになりかねない。


今は、得意な領域とまっすぐ届ける力さえあれば、本業の片手間に別の分野でプロの仕事が出来る時代です。
今、安定した職についている人は、その収入を大きく超えるまで、絶対にやめない方がいい。


その代わり、チャンスには慎重かつ貪欲になるべきです。
フットワークを軽くして、いつでも飛びつけるようにしておく。


一方で、うまい話には「相手にもっと大きなメリットがある」こともお忘れなく。
ある分野で努力をして、ちょっと芽が出てきた頃が、一番だまされやすいタイミングです。
耳ざわりのいい話は、笑顔で聞きながら、最初から疑ってかかるのが大事です。
うまい話を持ってくる人もまた、「まっすぐ届ける」能力に長けている、その道のプロですから。



そういうことも踏まえて、やっぱり届けるべき相手に「まっすぐ届ける力」が必要なんだなあ、と。
で、それを身につけるには、「空気を読む力」が必須なんですね。
でも、対人能力が低くても、ウェブ時代ならチャンスがいくらでもありますよ。


どんなに待ってても、白馬の王子も、カボチャの馬車も来ないから、さっさと自分でアピールすればいい。
思いっきり決め顔の写真をつけて、「灰かぶり女のブログ」でも立ち上げればいい。


まとめると、そういうことです。
また長くなりましたが、ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

今すべきことは、自分というコンテンツの「届く化」


■選ばれし者の生き方、一般人の生き方


梅田望夫の言う、好きなことだけを貫いて生きればいい、というのは、多くの人が認めるスペシャリストになれば金を持ったジェネラリストが自分を見つけてくれると言う、近代主義的な理想論の延長にすぎない。


現に、高レベルのスペシャリストを目指す多くの人が、自分の実力を評価してくれる、自分を見つけてくれる人が現れるまで、先の見えない努力を続けることに疲れ果てている。
しかも毎日の仕事の中でチャンスをつかむためには、年中気を張っていないといけない。ライバルも多い。ちょっと手を抜いたところを見つかったら、今まで積み上げて来た信用が一気になくなるかもしれない。


例えるなら、昔好きだった同級生を街で偶然見かけたが、その時の自分がジャージ姿だったので声をかけずに逃げた……、そんなことがあってはならないのだ。
スペシャリストへの道は遠く険しく、どんなに好きなことでもひとつのことを高い緊張感とモチベーションで続けることは、誰にでも出来ることではない。
これは、組織の中で出世するのもそうだし、フリーランスとして業界内で名を売るのも同じことだ。




これに対する反論として、分裂勘違い君は「その時々にやりたいことを、好きなようにやれるのが一番幸せだよ」という甘い言葉をささやいた。
「好きを貫く」よりも、もっと気分よく生きる方法 - 分裂勘違い君劇場


好きなことでも一生続けるとなると辛いんだよね。そうそう! そうなんだよ!
「自分が好きで始めた仕事だろうが! 弱音吐くんじゃねえ!」なんて言われても、始めたときはこんなに辛くなるなんて予想してなかったし、今から他の職種に移るのも怖いし、もうこれしか出来ないんだよ。


でも、ちょっと待てよ。これは「好きなときに好きなことをやる人生」にシフトしませんか、って言うお誘いか?
それって、今までの地位や努力を捨てて、道半ばであきらめるってこと? そりゃ、勘違い君はすでに一個人としてコトを成しているし、なんか仕事のつてもありそうだし、生活に困ることもなさそうだけど。
無理だ。俺は無理だ。でも、勘違い君のエントリーを否定すると、勘違い君が片手間でやってることに一生かけて全力で(まあモチベーション下がってるし、休み休みだけど)取り組んでも結果が出せてない奴のひがみみたいになっちまう。


勘違い君のような生き方をするには、卓越した対人コミュニケーション能力が必須だ。
自分のビジョンを周囲に伝えて理解者や協力者を集め、やりたいことを思い通りに実現していく力が無ければ、こんなキャリアは歩んで来れない。

ひと言で言うと、「どっちの生き方も、選ばれし者の生き方で、一般人の参考にはならない」。
そう言うことになると思う。
「5つの罠」のエントリーでも書いたように、どちらも一般人がどう生きるか、という問いに、現実的な答えを出せていない。


このエントリーでは、「選ばれていない者」が、どうやって生きていくか、について考え、具体的な答えを書きたいと思う。
つまり、高い専門性も、高いモチベーションも、高い対人コミュニケーション能力も持っていない人が、どう生きるかだ。



ゴッホとシンデレラ


ゴッホは、生前たった1枚の絵しか売れなかった。しかも、買ってくれたのは身内だけだ。


現代のゴッホは、そこかしこにいる。もちろんゴッホと比べるほどのレベルじゃないが、理解されない天才は多い。
ニコニコ動画の「もっと評価されるべき」や「才能の無駄遣い」などにカテゴリ分類される動画を見て、思うはずだ。センスや方向性はともかくとして、これだけの技術を持つ人が、何故評価されていないのか、と。
テレビなどで紹介される各分野のアーティストより、よっぽどこっちの方が面白いじゃないか、と。


彼らが世に出ない理由は明白だ。
埋もれた才能の持ち主は、自らの才能を発揮したコンテンツを流通させるチャネルを持っていない。
もしくは、持とうとしていない。ただ、それだけのことだ。



やりたいことをやりたいときにやる。
分裂勘違い君がそれを実現出来るのは、自分の得意な各分野の流通チャネルをすでに確保しているからだ。
決して現時点のコンテンツの質が高いから、専門性が高いから、だけではない。



一個人として、コトを成していない人。一個人としてコトを成そうとする時、方法がわからない人。
彼らは、みな自分にあった流通チャネルを持っていない。
梅田望夫は持っている。ひろゆきは持っている。分裂勘違い君も持っている。
それが、我らと彼らをわける違いだ。


たとえ絶世の美人でも、家で白馬の王子様を待っているだけじゃ、絶対に巡り会えない。
魔女というプロデューサーを得て、舞踏会に行けば、灰かぶりのシンデレラですらチャンスをつかめるのだ。



■必要なのは「まっすぐ届ける力」だ


じゃあ、どうすんの。
その流通チャネルとか人脈とかって、どうやって手に入れるの?
それじゃウェブ時代になっても、磨くべきなのは、相変わらず自分を売り込む方法、アピール術、営業力なの?



答えは、イエスだ。
優れた技術やセンスをもっていても、誰からも認められなければ何の意味もない。
どんなに質の高いコンテンツでも、誰にも届かなければ何の意味も無い。
どんなに優れたビジネスモデルで事業を始めても、顧客や出資者まで届かなければ全く意味がない。

専門情報やツールが低価格化し、個人の趣味レベルなら、誰もが好きな分野で好きなことが出来るようになった時代だからこそ、今必要なのは「届ける力」だ。
しかも、正しいターゲットに、正しい方法で届ける力。これを「まっすぐ届ける力」と呼ぼう。
「まっすぐ」と言う意味は、「正しい相手に」、「そのままの内容を」、「正しい方法で」と言う3つの意味だ。
だましのテクニックは極力使わない方がいい。一見さんに売るんじゃない、あなたの理解者を探すことにもつながるのだから。


あなたを、他の人と差別化するのは、「まっすぐ届ける力」。それだけ。


これは、スペシャリストに限らない。もっと言えば、仕事をしている人に限らない。
自分の業績を上司に認めてもらうのも、好きな人に気持ちを伝えるのも、同じ趣味の仲間の尊敬を集めるのも、みんな同じことだ。



極論してしまえば、コンテンツ自体なんてそれほど大事じゃない。


市場が成熟した競争が激しい分野なら、コンテンツは良くて当たり前だし、良いだけじゃ売れない。
市場が若い分野なら、新しくて話題性があれば、コンテンツはショボくても売れる。



それに、ブログやケータイ小説の流行でわかったのは、他人の人生、他人の考え、他人の文章はそれだけで面白いってこと。
良いコンテンツなんて、誰かに届けたいと言う思いさえあれば、誰でも作れるということだ。


それでも人気のあるブログと、そうじゃないブログがある。
それを分けるのは文章力や内容の質じゃない、ってことはみんな気付いてるだろう。
要は、話題になる力、だ。
今、高視聴率の番組は、ベストセラーの本は、ヒットチャートの音楽は、それほど優れたコンテンツか?
結局は、好きなことを貫いても、ターゲットに「まっすぐ届ける力」が無いと意味がない。


つまりは、営業力。プレゼン力。コミュニケーション能力だ。
梅田望夫にいたっては、けものみちを生き抜くために必要なのは人間的総合力、とまで言っている。
そりゃ、ハードル高いだろ。


だが、ここでがっかりした人。うんざりした人。
あなにこそ大きなチャンスがあるのが、ウェブ時代の素晴らしさなのである。



■ウェブ革命は「引きこもり革命」だ


かつて、自己実現の方法は、ほぼ全て対人コミュニケーション能力に集約されていた。
もちろん今だって、そうだ。
学校や会社や地域で人気者になったり、大役を任されたり、出世をしたり、大儲けをしたり。
対人コミュニケーション能力が高くなければ、そんなこと出来はしない。


しかし、今はウェブがある。
道具は身体機能の外延(例えば、「孫の手」は手の機能を外側へと拡張する道具)と言われるが、
ウェブは、何よりも個人のコミュニケーション機能そのものを補助し、拡張するものだ。
人に対して直接コミュニケーションを取るしかなかった手続きや情報交換や商取引が、ウェブ時代以後は、
プログラムを介して処理出来るようになった。
例えば、ネットショップ。ネットバンキング。ネット証券。そして、掲示板やブログ。
さらには、オークション、アフィリエイトリスティング広告コンテンツマッチ広告の出稿、
もちろん、出会い系もそうだ。
これらの「非対面サービス」は、対人コミュニケーションにあまり自信がなかったり、面倒に思えてしまう層に対して
大きなチャンスを開いた、まさに革命と言える。



今まで、ウェブ革命についての多くの考察では、人的効率とコストの改善面からしか語られて来なかった。
ウェブは、人手を機械に変えることで、人件費を削減する革命。そして、そのことによるコスト革命。
だからこそ、無料のサービスが提供される。個人でも流通が可能になる。
そんな視点でしか、捉えて来なかった。


この視点は当然正しい。実際、今までのウェブはこの方向性で進化して来た。
しかし、今あえて僕はもうひとつの側面にこそ注目したい。



ウェブ革命は、実際に人と対面しなくても、不特定多数の人とのコミュニケーションを
可能にした「非対面革命」である、と。


そうだ。
極端なことを言えば、「引きこもり革命」だ。
マスメディアやウェブに関する書籍や大手のネットニュースに登場するような発言力のある多くの人間は、高いコミュニケーション能力を持っており、こんな軟弱な発想は、思いつきもしなかったかもしれない。
だが、この側面こそが徐々に世界を変えようとしているのだ。



自分の才能を世に売り出す場合を考えてみよう。
かつては、所属している会社の営業力やフリーの人脈がなければ仕事が取れなかった。
今は、mixi、ブログ、ニコニコ動画など、対面コミュニケーション能力が低くても、
才能をアピール出来る機会は山のようにある。


もちろん、「まっすぐ届ける」上で、コミュニケーション能力自体が不要になったわけではない。むしろ必須である。
ただ、対面でのコミュニケーションが苦手な人にも、ウェブ上での非対面コミュニケーション能力を生かすという方法があるよ、というお話である。



次に、人気のあるサイトからの広告収入など、ウェブ上でビジネスをする場合について、考えてみよう。
ビジネスの仕組みを表す言葉として、BtoB(企業 対 企業)とBtoC(企業 対 個人)というものがある。
さらに現在は、様々な「非対面サービス」の充実により、直接担当者と顔を合わせることなく、
個人によるCtoC(個人 対 個人)やCtoB(個人 対 企業)のビジネスが可能になって来ている。


もちろん、今でも非対面コミュニケーションは、対面でのコミュニケーションと比べると、多くの面でかなり非力だ。
大きな提携や、有利な条件の交渉、値引きなどは、担当者間の信頼関係が第一で、今でも対面じゃないと無理だろう。


人気ブログの広告掲載に関しても、大手になれば代理店が声をかけてくる。直接掲載を持ちかけてくる企業もあるだろう。
だが、わざわざ資料を作って打ち合せをする工数をかけて、苦手な営業力を発揮しないと良い条件が引き出せないのであれば、多少条件が悪くてもアフィリエイト広告を貼り付けておいた方がよほど効率的だ。


対面コミュニケーション能力が要らない時代が来たわけじゃない。
はっきり言って、非対面では企業を動かすことは出来ない。内側からも、外側からも。
対面コミュニケーション能力が高くないと、いくら技術や才能があっても会社組織内で出世するのは難しい。
組織というのは、ジェネラリストが動かしていくものだからだ。


だが、対面コミュニケーション能力がない人も、非対面の力を身に付ければ報われる時代が来たということだ。



■「空気が読める日本」の未来


「空気読め」「空気嫁」「KY」。
最近、良く言われる言葉だ。


日本の学力は先進国の中でも思いっきり低下。その代わり、空気読み力は世界一というニュースもあった。
だが、自分はこの記事を読んで、「頼もしい」と思ってしまった。


分裂勘違い君も、以前のエントリで述べていたが、相手との利害関係を把握する力だ。
これってそのまま、営業力やマーケティング力などの、相手に「まっすぐ届ける」ための
コミュニケーション能力と直結する。
そして、そこには対面と非対面の区別などない。


「神」と呼ばれるようなレスを返す能力、祭りを盛り上げる能力、炎上を回避する能力、
それらは全て、空気を読む力だ。
あなたが自分というコンテンツを届けようとするステージ、その場の空気を読む力が必要だ。


家庭、教室、職場、電車の中、会議室、mixiの足あと……。
そんな狭い場所の空気ばっか読むから、ダメなんだ。
もっと広い世界の空気を読め。


我々の「届ける力」は、もはや直接対面でのコミュニケーションなんて超えている。
読むんなら、ネットの空気を読めばいい。日本の空気を読めばいい。
時代の空気を読めばいい。10年後の世界の空気を読めばいい。


そこまでの力がなかったとしても、自分が届けたいたった1人の人でいいから、
しっかり想いが届くように、相手の周りの空気を読めばいい。
マーケティングだ、ターゲティングだ、と言う呼び名は腐るほどある。
要は、届けるべき人に「まっすぐ届ける」能力だ。
それが、ニッチなサービスでも、マニアックな作品でも、世界を動かすようなアイデアでも。
相手が、100人でも、1億人でも、全世界の人間でも、未だ見たことのないたった1人の運命の相手でも。


そんなのは、自分の欲求レベルに従えばいい。
全世界の数百万人がブログに貼り付けたくなるような、時代の空気を読んだイラストを毎日配信するのもいい。
一生かけて、多くの人が笑っちゃうような下手な絵を真剣に描いたとして、でもそれが世界のどこかにいる
本当に理解してくれるたった1人の人に届けば、そういう人生もそれはそれでいいじゃないか。


何も、理想論を言ってるわけじゃない。
届ける相手さえ間違っていない限り、あきらめずに届ける力を磨いていけば、きっと叶うことだ。
どんなにコミュニケーションが苦手な人だって、ネットにつながれば、数億人とコミュニケーションするチャンスを持つ。


逆にネットが苦手だったら、従来型のコミュニケーションを取ればいい。
それだって、会社組織に縛られる必要はない。
対人能力が高ければ、起業するのもフリーになるのも圧倒的に有利だ。
セミリタイアして沖縄に移住し、タダ同然で古い民家を借りて、畑で取れたものを近所の人と交換しながら月10万円で生きる。
対人コミュニケーション能力が高ければ、そんなことだって可能だ。


届けるコンテンツなんて、どうだっていい。
自分の好きなこと、どうしても伝えたいこと、くだらないこと、ちょっと思いついたこと。
なんでもいい。いつでもいい。しょぼくたっていい。


金儲けがしたければ、多くの相手が欲しがっているコンテンツを考えればいい。
自分を理解して欲しいだけなら、素直に自分をさらけ出せばいい。
大事なのは、コンテンツを作る想いと同じレベルで、誰かに届けるための方法を意識することだ。


届ける力さえあれば、人生は開ける。人生は楽しくなる。そういう時代だ。
そしてその届ける力は、ありがたいことに直接の対人コミュニケーション能力とは無関係だ。



■届けたいという強い気持ちがあれば、いつかは誰かに届く


そろそろ、まとめていきます。
このエントリーで言いたいことを、箇条書きで羅列してみました。


★届けたい相手に正しい方法で届ける力、すなわち「まっすぐ届ける力」が最重要。
★そのため、自分というコンテンツの「届く化」をすべし

  1. 自分が届けたい『モノ、コト』を見つける
  2. 届けたい『相手』を正しく定める
  3. 自分にあった届ける『手段』を身につける
  4. 自分が力を発揮しやすい『ステージ』を見つける
  5. 届くまで『あきらめない』


・ウェブ革命は「非対面革命」。話し下手でも「まっすぐ届ける力」を持つことが出来る。

  • 対人コミュニケーション力がなくても、お金を集められる。ビジネスが出来る。
  • 対面営業力がなくても、ものが売れる。自分を売り込める。


・ コンテンツはなんでもいい。ただし、届ける相手を間違えてはいけない

  • 既に好きなこと、得意なことがあれば、それをコンテンツにすればいい
  • コンテンツを持たない人間はいない。ありふれた経験なら、同じような多くの人から共感を得られる
  • 自分を求めている人を探し出すことを心がける。押しつけはダメ。ストーカー、カッコ悪い。


・ まっすぐ、とは?

  • 届ける相手を間違えない
  • 内容が曲解されないように届ける
  • だましの手段は、極力使わない方がいい

どんなに優れた才能を持っていても、他の人の目から埋もれていては意味がない。
どんなに素晴らしい作品を作っていても、自己満足では淋しい。
かと言って、無理して興味のない人に見せたところで、冷たいリアクションしか得られない。
自分が望む「届けるべき人」に、まっすぐ届けなければ意味がない。


自分が望む、そして自分を受け容れてくれる相手なら、誰でもいい。
家族でもいい。知人でもいい。ニコニコ動画の視聴者でもいい。
1人でもいい、10億人でもいい。
自分が届けたいものを、届けたい相手に、まっすぐ届ける能力。
これだけあれば、全てうまく行く。


とりあえず何をしていいかわからない人は、

  • 自分は、誰に自分を知って欲しいの?
  • 自分が得意な、人に何かを届ける方法って何?
  • 自分が実力を発揮出来るステージってどこ?


っていう自問自答から始めればいいんじゃないかな。
何も思いつかなければ、ブログでもニコニコ動画でも2ちゃんねるのスレッドでも路上ライブでも、とにかく発信してみればいい。
大事なのは、「まっすぐ届ける」能力を磨くこと。


ただし、空気を読むのを忘れずに。
伝えたい相手の周りの空気と、伝える場所の空気と、
そして、もっと広い今の時代の空気を。

5つの罠の種明かし

分裂勘違い君本人による、華麗なる自作自演劇を期待していた皆様。
または、超有名なアルファブロガーの登場を期待していた皆様。
期待はずれで申し訳ない。

私が、「好きを貫くよりも〜」に仕込まれた5つの罠を暴く」を書いた本人です。

改めまして、こんにちは。
「くろいぬの矛盾メモ」と言うブログを書いている「くろいぬ」こと、Shields-Pikesと申します。
誰も知らないと思いますが、月1,2回くらいの低頻度でブログ書いてるので、よろしければRSSのお供に。


いやあ、まさか本人と思われるとは思ってませんでした。
他の多くの賞賛や批判の意見と同様に、ただ匿名ダイアリーで書いただけの記事だったのに。


■分裂勘違い君からのブクマコメントの変遷  ※いやらしいことして、ごめんなさい

初日:fromdusktildawn  いや、オイラではないけど、文章が上手いな。誰だろう。sivadさんかな。ちなみに、仕掛けはもっと複雑だよ(悪)

初日深夜:fromdusktildawn  よりすばらしい記事を書いてやる、という方向では努力するより、ケチをつけて引きずり下ろすこと熱心だと言うことはよく分かった。

翌日夜:fromdusktildawn  そう思うなら、自分でもっとすばらしい記事を書けばいいと思うのだけど。

現在:fromdusktildawn  (コメントなし)


このブクマコメントの変化から、最初は書き手に興味津々だった分裂勘違い君だが、「5つの罠」のブクマ数が100に近づくにつれてだんだん怒りがこみ上げて来て、その後ちょっと落ち着いて、さらに無関心もしくは僕の種明かしが遅いから、もう飽きたっぽいことは良くわかった。
特に2番目。普段は完璧な文章なのに、カタコトのコメントなのが怖い。
こりゃ、挑戦状だ。どげんかせんといかん。


正体だけ明かしても、自分はアルファブロガーでもない一般人なので、「で、おまえ誰?」と言う出オチで終る。
正直、本人から「仕掛けはもっと複雑だよ(悪)」という言葉を引き出せただけで、まあ満足ではあった。
今まで、多くの人がツッコミを入れても、自作自演による自己批判までを芸にしてしまう勘違い君の手の内で遊ばれてた感があったが、
今回のように次エントリーを公開する前に、自ら「仕掛け」だと告白してしまうとは、おそらく彼にとっても想定外の事態だろう。


とは言え、「そう思うなら、もっとすばらしい記事を書けばいい」と言われると、ちょっと悔しい。
解決策を出せてない、と批判するからには、少なくとも僕は何らかの新しい意見を出したい。
そう思って、風呂に入りながら考えたのが、以下のエントリー。


 ■今すべきことは、自分というコンテンツの「届く化」


3日間も引っ張ったんですが、あまり推敲できてないので、猛烈に長くて申し訳ありません。
やっぱわかりやすい文を書くのは難しい。

恋とホストのケータイ小説のが、熟年不倫小説よりも文学だよ

ケータイ小説への批判を、PCのブログで最近多く見る。
映画「恋空」の影響か? 何か、恐れてるのか?


でも、批判の内容が薄い。そして、おっさんくさい。
要は、かつてのヒップホップやテクノなんか音楽じゃねえ、って意見と同じ。
ラップなんか、しゃべってるだけじゃねえか、歌じゃねえよ、って。


ケータイ小説を批判する人の言説は、純文学を擁護する文学青年や、ハードSFしか認めないSFオタクなんかの言説に非常に類似しているのが、おもしろい。おまけに馬鹿にしてるくせに、「ガッシ、ボカッ」以外は誰一人ちゃんと読んでないし。


それにしても。
いまだに小説≒文学って思ってる人が多いんだな、って改めて思った。
本好きの多くは、エンタメ系の小説とエッセイと実用書くらいしか読んでないはずなのに。


小説ってのは、本来フトコロが広いメディアだ。
散文を主体に構成されていれば、どんな文体でも、どんな構造でも、どんな媒体に載せても成立し得る、もっとも広義な表現形式が小説の魅力だ。
別に、文語体で社会性のあるテーマで、なんて条件は無い。つうか、昭和時代の文壇の老人かよ。


自称本好きが良く読む凡百の推理小説なんかより、よっぽど私小説で純文学っぽいんだけどな。
それとも、表現形式が書簡(この場合は、メールね)や手記(ブログね)をベースにした口語体の純文学っぽいのに、扱っているテーマが高校生の恋愛とかホスト話とかで、低俗で陳腐って言う批判なのかな。


でも、思春期の悩みなんて、いつの時代もおんなじだろうに。みんな昔は中高生だったことを忘れちゃうんだな。
テーマが恋愛とホストと風俗と病死ばっかり、って意見があるけど、谷崎とか川端だって、遊女とか病死とか、そんなんばっかりだぜ?
昨今もてはやされてる熟年不倫小説の方が、よっぽどくだらんと思うけど。
ナルシシズムは若さの特権。老いたナルシストほど不気味なものは無い。


ケータイ小説は、表現のスタイルは新しい。同世代に支持されている。「恋空」は、中高生の間で空前のブームになりそう。などなど。
数年で消費される文化としては、これだけでも十分。
それじゃ、今後に長く残るムーブメントになるか。
さらには、文学の新しい潮流になるかと言うと、いくつか足りない部分がある(そんなの目指す必要無いかもしれないけど)。


基本的に、従来の私小説の延長から抜け出せていない。まあ、これは近年の芥川賞作品とかでも、そんなんばっかだけど。
そして、意図的に簡略化や独自の表現をしている部分だけでなく、単に稚拙で推敲が足りていない部分もある(これは加筆修正で直せるが)。
だが、それを上回るライブ感とスピード感はある。
でも、ケルアックとか言ったらほめすぎだ(このジャンルで、そこまで洗練された作品は、まだ出ていないから)。


もう少し社会性と同時代性を意識した書き手が登場すれば、文学としても化けるジャンルだと思う。
今までの小説よりも、圧倒的に書き手の裾野が広いから、結構おもしろいことになるんじゃないかな。
だって玉石混交とは言え、数十万人の若者がネットで自作の小説を公開している時代って、単純に凄いと思うんだ。

岡田いいめも事件に見る、ひとり勝ち&早いもの勝ちの論理

私、くろいぬも絶賛実践中の、岡田斗司夫「いつまでもデブと思うなよ」のレコーディング・ダイエット法。
このダイエット手法と類似のサービスをめぐって、ちょっとした事件が起こっている。


いいめも開発ブログ | いいめもダイエット サービス停止のお知らせ

いいめもダイエットの公開に際して、事前に承諾を得なかったこと、無断でお名前を記載してしまったことなど、当方の対処に不適切な点があり、岡田氏をはじめ、関係者の皆様にご迷惑をおかけいたしましたことをお詫び申し上げます。
つきましては、「いいめもダイエット」については、10/17をもってサービス停止とさせていただく事となりました。

アイデアに著作権なし……それでも「いいめもダイエット」サービス停止 - ITmedia Biz.ID

「いいめもダイエット」が10月17日にサービスを停止する。書籍「いつまでもデブと思うなよ」の著者である岡田斗司夫氏から「著作権の侵害」としてクレームがついたため。

岡田斗司夫が非営利の食事記録サイトに圧力をかけてサービス停止:アルファルファモザイク

今回サービスが岡田氏の圧力を受けて停止された「いいめもダイエット」とは、携帯電話のメール機能を利用して、専用のアドレス(d@ememo.jp)へ食べた物を送るだけで一覧を作成するサービス

*1


この件に関して、良く言われてるのが「食ったものを記録するダイエット法なんて、良くあるアイデア著作権で守ろうとするな!」という批判。
ただ、これはちょっと筋違いかと思います。


まず、書籍を読めばわかるが、「単に食べたものと時間を記録して太る原因を探るだけ」と言う方法ではない。
言うなれば、公文式が「自分より少し高いレベルの問題を繰り返し解くだけの学習法」と言い捨てられないのと近い。
食事とダイエットに対する価値観の転換こそが、このダイエット法のメインであり、それはかなり独創的だ。


次に、何らかの装置やシステムを使わないノウハウを特許にするのは無理。
だから書籍化して著作権で守ったり、関連商品を販売して商標で守るというのは、ある意味ノウハウ商売の生命線。
だから、今回の抗議は全く当然の権利だと思います。
ただ、そのやり方がスマートじゃなかった(身体はスマートになったんだけど)。


たぶん、岡田斗司夫自身がレコーディングダイエットの関連ビジネスを立ち上げる予定だったんでしょう。
それより一歩先に、似たようなサービスをやられてしまったと。しかも、自分の本の読者の声を参考にして。
それでも、たぶん岡田斗司夫の名前を出していなければ、あれほど一方的に訴えなかったんじゃないかと思います。


岡田斗司夫、「いいめも」双方ともに下手だったのは、最初から「一緒にやりましょう」と言う提携の提案をしなかったこと。
そして、岡田斗司夫が軽率だったのは、権利問題の敗者にもブログを通じたネット社会への問題提起で、
世論を動かす影響力があるという現実を忘れていたこと。
あきらかに綺麗な決着ではなく、内容証明の送付のように怒りに任せた強制的な排除を申し出たんだと思います。


確かに、いいめもダイエットのサービスは、技術的には特に高度というわけではありません
ユーザーインターフェースは良くできていますが)。
自分のアイデアを借りて、自分よりちょっと先に始めただけの、自前でも作れるレベルのサービスに提携を申し込むのは癪に触るでしょう。
たぶん、僕が岡田斗司夫の立場にいたら、かなりムカつくと思う。


でも、だったら本を出すと同時に何らかのサイトを立ち上げるべきだった。
トップページ1枚と、サービス予告だけでも良かった。
それなら類似サービスを抑止出来るし、そこまでしても出て来る類似サービスを
つぶしたところで、ここまで文句は言われなかったはず。
同時立ち上げの努力を怠ったから、ベンチャーがニッチ市場の空白地帯を嗅ぎつけて進出してきたわけで。
くれぐれも、Webサービスの世界は早い者勝ちのルールで成立していることをお忘れなく。


関連ビジネス独占で一人勝ちのウハウハをやりたいなら、それなりの用意をすべきだった。
そして、会社組織にもなっていない開発チームだとしても、力で無理につぶそうとすれば、
ブログだけでもこれだけの反撃が出来るということも、覚えておいてほしい。自戒を込めて。


周辺ビジネス独占で1人勝ちを狙うのは、とっくに時代遅れなのかも知れないなあ。

*1:この元記事引用部分は、404Blogから転用させていただきました。