くろいぬの矛盾メモ

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 萌えはキャラへの初恋ではない。必ず2度目以降の恋である。


「萌え」とは、「特定のキャラ属性を持つキャラクターに対する、受動的な全肯定の感情」のこと。
そして、その感情は「好みのキャラ属性についての分析と自己認知を伴う」。


これが、くろいぬ版「萌え」の定義。
この定義の成立までのお話は、以下の2つのエントリをご参照下さい。
 

 


次に、萌えの構造分析について。これが今回の本題。
萌えがどのように生まれるか、と言うお話です。


萌えは、フェティシズムに似た(というか、それを含む)3種の「萌え要素のどれかからスタートします。


1.身体の一部・装身具などの「パーツ(表象)」に対する「フェティシズム
2.物語性のある設定や血縁など「シチュエーション(関係性)」に対する「妄想」
3.言動や容姿(顔)から読み取れる「キャラ人格(精神性)」に対する「慈愛」


あるキャラクターへの愛は、これら個別の萌え要素への傾倒から始まります。
それが、やがて3種の萌え要素の総体ともいうべき、そのキャラクター総体へ向けた愛へ至る。
これがキャラクターへの最初の愛。「萌え」登場以前にもあったキャラクター愛。いうなれば初恋とも言うべきものです。


しかし、一度自らの好みの萌え要素を自覚すると、細分化されたコミュニティなどでその趣味を共有し、情報を集め始める。
ここが「萌え以前」、言うなれば「ネット以前」にはなかった、非常に現代的な部分です。
自分の好みの萌え要素についての情報を得ると、以降は意識的にその萌え要素を持つキャラクターを探そうとします。
やがて、それらを束ねる「萌え属性」の存在に気付く。つまり自分の好みのタイプに気付くわけです。
そして、その好みのタイプのキャラクターや、そのキャラクターの魅力を新たに発見した時にこそ、「萌え〜」と言う言葉を発するわけです。



萌えはキャラへの初恋ではない。必ず2度目以降の恋である。
というのも、かつての初恋の人の面影を探すように、自らの好む萌え属性を持つキャラを追い求めるからです。


ネット(インターネットだけでなくパソコン通信含む)以後の特性のひとつとして、多くの人が自分の好みに自覚的になったことがあげられます。
これは、何も萌え属性の話に限らず、多くの消費者が、自分が今何に興味を持ち、どんなものが好きなのか、を明確に自覚するようになった。
これはコミュニティの細分化によるものだと考えられますが、萌えは、ある種の自己分析的なニュアンスを強く含みます。


それと、単なるフェティッシュだけにとどまらない、3種の萌え要素が入り口となる、と言う特性。
これはむしろ、現実の恋愛の過程にも近い。
もし違う点があるとすれば、現実の異性への愛がセックスへと着地するのに対し、キャラクターへの愛には着地点が無いこと。
永遠に報われないことを知りつつも愛し続ける、ある種の諦念を含んだ愛であるということです。
このことが、「受動的全肯定」と言う、親心にも似たスタンスにつながるのではないでしょうか。


そして、たけくまメモのコメントでも出ていた、「男性版母性や父性」と表現していた感情は、その背後に近親相姦的ニュアンスを含んだ報われない思慕、と言う方が正しい気がします。


萌えの構造について、思うところを書き連ねてみました。
みなさんのご意見をお聞かせ下さい。